ハンドルネーム:シンプルスター, Simplestar (真ぷるスター)

2005/09/12に 鴉如集(からすじょしゅう) より改名しました。
シンプルスターというハンドルネームには一筆書きでシンプルかつ筆の流れを感じるイラストが描けるようになりたい!という意味がこめられています。
漢字とひらがなが混ざっている方はユニーク性を高めるためのものです。

職業:某ゲーム制作会社 技術部開発課のプログラマ 2011年5月現在

趣味:アニメ観賞、イラスト作成、3Dゲーム制作講座サイトの運営とそのコンテンツ作り



◆イラスト関係の管理人の経緯
(どうして絵を描くようになったのか)

小学校一年のときよく漫画を描いて,友達と見せ合いっこをしていた.
関係ないようだが,もしかしたら原因の一つかもしれない.
小学校二年で地元の少年野球チームに入る.土日はすべて野球だった.

アレはそう,小学生時代だったかな?
NHK教育「天才てれびくん」で放送していたアニメ「恐竜惑星」が好きだった.
健全な言い方では,恐竜大好き少年だったから.
あぶない言い方では,モエちゃんにドキドキしていたからだ.

もうひとつ,「ロストユニバース」とかいうものが
ご飯時にやっていたのだった.キャナル嬢に一目惚れ.
飯の時間がズレたほんの数話しか観ていないが,艦のインタフェースが少女ってのは反則です.

この頃は,「アニメの女の子ってかわいいなー」ぐらいにしか思ってなかったんです.

健全なスポーツ少年だった時代.
中学校では少年野球の延長ということで,野球部に入ってました.
体力のない自分にとって命がけの部活動であり,平日の授業が自分にとっての休暇であった.

その頃,アニメ「ポケモン」が始まる.
ほんとに初めのころだが,カスミに夢中になった.
声優の飯塚雅弓のファンになったということだ.
ふと思い立って絵を描き始めた.それが下の絵.


おそらく俺の家に残っている一番古い絵.
この際懐かしいのでいろいろと載せてみることに!
左からカスミ,サトシママ,クラウド,ティファ.

・・・

恥ずかしいなぁ!とまぁ,こんな感じでちょくちょくこそこそと
自分でも赤面するような絵を描いてました.

中学二年生で女の子に興味を持ち始めるのだが
高校二年までの三年間彼女がいないまま出会ってしまった!
それはある日の下校途中の電車の中,
中刷り広告のアニメージュ2001年6月号の表紙を飾っていたもの!
その名も「鈴原みさき」

CLAMPの「エンジェリックレイヤー」だ.

そのころ「ガンダムW」や「ハンター×ハンター」のビデオを近くのKAINDSで
借りて観ていたけど,自分にとって美少女アニメに興味を持った最初の作品だった.

そしてまた,当時の絵.一生懸命が伝わってくるへたな絵.
今思えば,あれはNHKの陰謀だった.(テレビ東京だったけど)
いや,もう少しさかのぼって恐竜惑星はNHKの陰謀かな.


みさきのつもり(汗)

このころだったか?美少女ゲーム雑誌を初めて購入.
今考えると思い切ったことしたなぁ.高二でしょ?まずくないか?
(と思ってたけど,友達に聞くと全然普通らしい.)

そうしてギャルゲーなる物の存在を知るのでした.
この時,目に止まったのが「パティシエなにゃんこ」の広告絵だった.

俺は本気で欲しかった.やってみたかった.そんなオーラを放っていると
わかる人は気づいてくれました.それがcedarさん.どうして気づいたのかな?
KeyやLeafの有名どころのタイトルを貸してくれました.

彼とは大学が始まったころ,一緒にマンガを製作していました.


これは高校2年の冬に描いたものかな,早く描ける=うまい.と勘違いしていたときでもあった.
まぁ,今でもラインに描いたときの勢いが見受けられるのは大好きですけどね.

後ろめたい気がしたので,家族に気づかれないよう深夜にパソコンでギャルゲーをしていました.
CGってすごくきれいなんだなぁって憧れてしまい,漫画以来の大革命が起こりました.
ただのエロガキだったなら,まだ良かったのになぁ.複雑だ.
全然後悔はしていませんけどね.

このころは高校二年生,弓道部でばりばり頑張っていた時期(というか部長やってました)
表向きのイメージとは全然違うことにハマり込んでいったのでした.
あの時,自分が恥ずかしくて,みんなには夢中になっているものを知られたくなかった.

でもね!

そんなだから,みんなに暗いだの,寡黙だの,嫌味なヤツだの思われちゃうわけで.
ただ単に秘密が多すぎて,ヘタに動くとボロ出しちゃうから全然動けなかったって訳ですよ!!

ああ,言ってやろう!ここで言わせてくれ!
そんな自分を誇れなかった臆病な男だったのさ!俺は!!(え!?まちがってる?)

なんだかんだで,高校を卒業.浪人してまで大学を選ぶ基準が自分にはなかったので,推薦で大学を決める.
成績はそこそこ良かったんですよ.クラスで4番目で,トップは東大,2番と3番は東工大に行きました.(だから何だ)

そして,春休みを使って,さらにこの道の深みへとはまっていきました.
日夜,イラストを描き続け,受験勉強のときよりも遅くまで起きて頑張っていました.
(これはこれで楽しかったんです,みるみる上達する自分に夢を馳せていました.)

このサイトを作ったり,大学の漫画研究会に入ったりして退路を断ち!強制で絵を描かざるを得ない環境へ!!
というのが割と最近の出来事です.私を以前から知ってる皆様,いろいろとご容赦下さい.

2004/07/13 初記
2004/11/28 訂正,追加
2009/05/02 訂正,追加

◆管理人の勉強に対する思い

大学一年生の後期を終了したとき,俺は変わった.
どう変わったのか?傍から見れば大して違いはありません.しかし!内面的には大きく変わりました.
未来に希望と活力を得たからです.今わたしは確信を持ち始めているんです.

とあるC大雑誌の「草のみどり」に載っていたのですが,昔の学者たちはどうしてそこまで探究心を
燃やすことが出来たのか,ということでした.延々と述べられている文中で心に残ったもの.それは以下のキーワード.

「確信」「技術」「意欲」です.

彼らは計算公式や実験の方法,それらを見つけ出す前から,ひとつの確信に迫っていたのです.
きっとある,必ずある.それがまず彼らの強みでした.

そこへ技術,その文字のとおり手指を以って求め行う!と突き動かす原動力の意欲があれば当然行動に移ります.
だから決して頭がいいから,成績がいいから学者になるのではなくて!
確信をもって好き放題やる!これが真の成功者のスタイルなのです.

このことを知ってからは世界が180度裏返って,違って見えるようになりました!
どうして今まで確信もなく,シコシコ暗記をしていたのかと後悔しました!!(勉強がすごく,つまらなかった)
そして未だそのことを知らずに引きこもっていく才能人たちよ!!
勉強のやる気は,確信にあるのだよ!
このことをいつか,伝える人間になることを,ここに誓うよ!

みんなも教科書などを読む前に,それを導いた先人たちの確信を想像してみてくれ.
テスト勉強が楽しくて,たまらなくなるぞ^^b


当時の絵(スカッとゴルフ パンヤ)

2005/02/06 初記
2009/04/28 訂正,追加

◆子供が選ぶ,進むべき道とは?

「勉強しなきゃいけない.」

今はどうしてかわかる.でも,受け持つ生徒たちはわかってない.(当時塾の講師をしていました)
自分がどういうことをしなければならないのか.何を一生懸命やればいいのか.
きっかけから,動機まで.自分には何もない.周りを見ても誰もが自分と同じように悩んでいる.

切り口を変えよう,ニートやヒキコモリが100万人(2009年 推定)にのぼるこの世の中.今後も増え続けるだろうて.
彼らこそこの社会の生み出した失敗作なのである.

金があればコンビニでこと足りる.親がいれば食に困らない.
勉強しても何の役に立つか誰も教えてくれない.
汗水たらしてアルバイトしてもちっとも金にならない.
いつもどうにかしなきゃと思いながら何もやる気がおきない毎日.

ここからは俺の予想だが,あと10年もするとニートやヒキコモリは今の倍になるだろう.(2005年書き込み時予想)
みんなも,もう引きこもっている友達を知っているかもしれない.

社会人のハードルは厳しくなった.
実際,頑張ることに疲れる世の中になっているのではないだろうか.
大きな会社に入って出世することが目的で,高い給料を目指して働き出す者など,過去の遺物でしかなく.
今は,自分が本当に頑張れることを仕事にする時代なのだと私は思う.

小学校と中学校の先生!
あんたらはいったい何を教えているんだ!教科書に載っていることだけなのか?
そんな子供の両親だってそうさ,自分の子供の頃と違う環境であることを考えろよ!
勉強の意味や将来性を教えてやれ!
もし,教えることが出来ない,または,わからないならば,あんたらは子供をそうさせた
張本人になるんだよ!

どうしてかって?
それは子供があなた方の鏡だからさ.立場が逆転し同じ状況下におかれた場合
あなたがやることが子供の今の行動なんだよ.

親が,自分たちの子供の手本であると意識して行動して.
今日に至るまで,何を考えて,どう判断して生きてきたのか,学び方を身に付けてきたのかを話してやれ.
そうすれば,今のあなたのような大人になってくれるはずだから.

日本の教育は決して良いとは言えない!
とりあえず高校いって,可能性を広げるために大学目指して,どうにか就職を乗り越えて
毎日に疲れて,飲んで,いろいろ我慢し続けるなんて.
最低・だよ!俺は嫌だ.そこには夢がないから!
そんなところには幸せを感じないから!


当時の絵(プリンセスうぃっちぃず)

2005/05/29 追加
2009/05/02 訂正,追加

◆遅咲きながら,自分の可能性を信じた一年間.

この1年間,生まれ変わった感覚でした.
というのも,好きなものを好きと言える様になったからです.
今までは主体性がないというか,無気力にただ生きていただけといった感じで,つまらない毎日だった記憶があります.

それは自分に自信がついたというだけなのですが,これがむずかしい.
今までは人の心ばかり気にしていて,自分の考えは後回しでした.誰かのためにバックアップに徹する
これがつまり自分にとって正しいことだと思ってました.

でも,それには限界があって.つらいことも多くて,自分の言葉と心に矛盾が出来てしまい,壊れてしまいそうでした.

あれ?そして壊れてしまったのか?

つまり今はとても幸せで,きっとこの先ももっと楽しいことが待っているのだと考えているのでした.

昔は大人ぶってたけど,今はかえって正直&バカな20歳やっています.


当時の絵(バレンタイン)


当時の絵(コミックスタジオ)

2006/03/25 追加

◆自分の成長限界を悟ったとき,落ち込んでいた?

大学3年ももうすぐ終わり,ついに最後の4年生が始まるわけなんだが
なにもかも面倒くさくなってきた.でもこれは悪い意味ではないんだ.

いい意味でのめんどくささ,つまり自分の周りはもう要らないもので
溢れかえっていたのだ.

どうでもいいこととは相手したくないな.
外面のお面は剥がれ落ち,見え隠れするわがままな本心.
本当の自分を長い間閉じ込めていた俺がいなくなる日も近いかもしれない.

血の力には逆らえないのだろうか.
俺は少なからず…っている.


当時の絵(コミックスタジオ)

2007/03/23 追加

◆太った?自制のきかない人間は嫌いなのだが,自分が嫌いになりそうだ.

もう22歳か,運動しないと太っていくのは困るよ.
でも,服が小さくなっていかない事はとてもいいね.
あとC言語,けっこう解って来たよ!


当時の絵(天元突破グレンラガン)

2007/05/26 追加

◆つらくても頑張れること,それを仕事にしたい.

就職,決まりました.世間じゃ100年に一度の大不況で,未曾有の就職難と言われているけど,なんとか仕事が決まりました.
上の記述,22歳になってからコンピュータの可能性に魅了されて(C言語って何?から始めて),勉強を本格的に始めたんです.
休日も寝る時間も勉強に割いて,ほしい能力は片っぱしから身に付けていきました.

気がついたのは,1年半くらい経ってから.

自分が目指しているレベルの人間になるには,自分の才能では生涯勉強を続けないとダメだ.
ずっと学び続けることができる環境になれたなら,どんなに素晴らしいだろうか!
自分の将来像の人に囲まれた職場なら,どんなに心躍ることだろうか!

やりたいことが見つけられない時代の自分なら,将来大丈夫だろうか?とか考えながら,
安定した職業で定年を考えて働こうとか,休日と給料の良いところを押さえていただろうけど.

今の自分は,そんなつまらない場所に行きたくない.
コンピュータのお仕事はとても忙しく,大変なこと.だけど,辛くても,苦しくても,頑張れる自信がある.

仕事ができないと罵られても,進捗がなくてバカにされても,自分は決して挫けない.自分を見失わない.成長をやめない.

仕事が自分に向いている,向いていないではなく.ただ,なりたい.自分の考える将来の自分になりたい!ただそれだけ.

思うに時間が足りない.成長するための時間が足りない.でも,なんだか妙に今が楽しいんだ.
そして,自分の成長力に将来の夢を馳せている自分がそこにいる.大学に入る前のあの頃に似ている.
これは,あの時のそれ以上.絵は仕事にできるまでは行かなかったけど,この力こそ,本物にしてみせよう!


当時の絵(ジパング)

2009/05/02 追加

◆社会人8年目、次なる目標を掲げる

目指すべきは世界的に見て競争価値の高い人材

実は最近になり、研究職に就くことになりました。
前回の書き込みにある「ずっと学び続けることができる環境になれたなら,どんなに素晴らしいだろうか」については
おそらく、念願の環境にたどり着いたことになります。

しかし、そうしたときに以下のことを続けることが難しくなってきました。
>仕事ができないと罵られても,進捗がなくてバカにされても,自分は決して挫けない.自分を見失わない.成長をやめない
>仕事が自分に向いている,向いていないではなく.ただ,なりたい.自分の考える将来の自分になりたい!ただそれだけ

なぜかというと、プログラミング能力については当初目指していた領域にたどり着いてしまい、夢が実現されてしまったからです。
なるほどと思いました、高めた力を武器に活躍したいと願うようになってしまうのが人間のようです。
これから頑張っていくにあたり、ここで夢の形を変えなくてはならなくなりました。

そこで、冒頭にある通り、次なる夢は世界的に見て競争価値の高い人材を目指すというものにしました。

というか、そういう人にならないと、やっと手に入れた今の研究職を手放さなければならなくなるのです。
注意したいのは、今の職場にこだわるのではなく、世の中にとって知的に価値を認められた存在になりたいという夢を持ち
これから頑張っていくということです。


2017/07/23 追記

◆趣味開発を真剣に取り組む仕事もする社会人

今は仮想世界の中で生きていると勘違いするAIを生み出す趣味研究活動をしています。
知的に価値を認められた存在になりたいという夢は捨てずに、それでいて楽しく開発する毎日です。
2021年現在、感染症に怯える社会の中、長く自宅にいる時間を活かして趣味開発に集中しています。

さて、研究職も国際会議に出るなど形になったのですが、後が続かない環境にあきらめて研究部署を自分から離れました。
社会の変化を追うと、その激しい需要と供給の変化に、私以外の多くの開発者や研究者も継続や選択に苦しんだことと思います。
離れた後は、同じ会社の開発部署に受け入れてもらい、そこで仕事を学んで今はみんなと一緒に社内の価値ある仕事を拾う日々です。
活躍といえるのか、リモート化に貢献した担当仕事が表彰されたり、外部の技術者会議などで発表する機会が与えられたりと
フィールドを変えても、学ぶ姿勢を大事に貢献を続けて、自信がつきました。


かつてのサバイバル時代と比べると、信頼と実績とポジションみたいなものが資産化してきていて落ち着いた仕事の仕方になってます。
平穏はいつか終わりが来ますが、一人孤独にというより、チームみんなでその日を迎えたいと思うこの頃です。

社会の仕組みを受け入れて、自分を認めてもらえた。
目指したものとは違うけど、やっと大人になれたのだなと思います。


2021/09/12 追記